
積まれるほど読んでいない書籍はないが去年に久しぶりに購入した一冊。雑誌も書籍も全く買わなくなっていたが、ふと目についたのだった。
生まれ育った土地は好きだが全てが好きというわけでもなく、ただ何かを助けることについての連携が早いのは骨の髄まで染みついていてその点は良かったと思う。良い結果ばかりだったというわけでもない。その流れからイングランドの共助の記事を読み漁った延長から社会的処方箋という言葉に反応してしまった。あれからというもの、あらゆる当事者性を抱える人に囲まれて生きてきてリンクワーカーのようなことを人知れず続けている。個人的な感想だが一言で良本だった。
弱者にやさしい社会なんてあちらこちらから耳心地のよい言葉は聞こえてくるけれど、個人的な視点で社会つまり行政はシステマチックで「やさしさ」を感じたことは一切ない。配慮のある人はいた、けれどもやさしさは具体性だと捉えると行政には受け皿が何一つない。ないからないなりに生きてきたし自分を取り巻く小さな世界がただやさしかっただけだと思っていて、あれらは「ただの偶然」で誰しもがそこに着地するわけではない、そう思って生きてきたし今もそう思って生きている。
個人的に、心的には小さな舟でのんびり釣りをしながら水面全体に目を凝らしているけれども息を止めて沈み続けている人は逆方向にエネルギーがあるし理不尽や不条理に怒り続けている人もそうで同じくエネルギーがある。ばしゃばしゃと体と声を上げている人も僅かながらか可能性があるかも知れない。自分がいつも見つめているのは音も立てず声も出さず水面に出ている指先、そう、社会に受け皿のない弱者は誰にも気づかれないままとぷんと沈んでしまうのである。本当の弱者は声すら出ない。